【考えたこと】

2010年1月24日 (日)

精神症状のメカニズムを患者さんと一緒に考えることの意義

今月は中旬に出張が続いて、心身とも調子を崩していましたが、何とか上向きになってきたかなという感じです(^_^;

先日は検査で開放病棟の統合失調症の患者さんとお会いしたが、他者を見ると首を絞めたい、背中を押して遠ざけてやりたいという衝動に駆られて辛い、と苦しそうに仰っていた。
それは周りの人が自分に危害を加えてきそうなので、その前に対処しなければ、という気持ちが働くからですか?と聞いたがそうは全く思わないということだった。
その衝動に自分で納得できる理屈が無いとのことだった。それをすると大変なことになるから実際にはやらないんですが、気になって辛いと仰っていた。

その患者さんは疾患の理解がよく、非常に機能レベルが高いので、その衝動的行為を正当化する妄想的スキーマ、合理化は全くなく、純粋に辛いようであった。
僕も最近似たことがあって非常に身にしみて、まさに自分のことを踏まえてその患者さんと話し込んだが、とりあえず

①衝動的な思考が意識に登ると注意が向いて苦しくなるので、別なことに注意を向けるなりして、意識に登らないようにさせる。その衝動自体は時間によって必ず解決すると信じる。
②意識に登る考えはしばしばこれから行う行動が決まってから生じることがあり、意識が先にあるわけではないことが多い(ルスツの脳と心のワークショップの下條先生の話をした)。だから、しばらくの間は時々刻々、自分はこれがしたい、そのためにこんな行動をとりたいが良いだろうか?部下が上司に企画書を出すように、自分が「自分」に計画書を出して妥当かどうかを「自分」で判断するというような意志決定を自覚的に行うことで、ボトムアップ的な行動の衝動を顕在化することを弱める、
という結論になった。

①はまあ一般的な考えで、誰でも辛いこと、苦しいことがあったら当たり前のようにするこであるが、②のほうは認知科学的な考え方で、あるほぼ自動化された入出力系においてトップダウン的な調節を優位にさせれば自動的な処理がかなり抑制されそれほど自動化しなくなる、影響力が低下するだろうということである。

それで実際に患者さん自身によるそうした取り組みでどれだけ状態が良くなったかはそれ以降お会いしてないのでまた今度ということであるが、僕はいずれにしろ患者さんが、妄想、幻覚、気分変調、衝動、不安・恐怖などを「自覚している場合」についてはそれの認知心理学的、神経解剖・機能的過程について、進化心理学的・適応戦略などの視点も交えながら伝えることがある。
こんなことを患者さんに説明するカウンセラーや精神科医の先生(診察時間が短いということもある)はほとんどいないが、しかしこのような説明はたぶん2つの意義があると思う。
1つは「疑似科学」による詐欺に近いことであまり良いことではないが、患者さんは自身の「異物」について「客観的っぽそう」な言葉で解釈したい気持ちがあり(前述のように精神症状に対して自覚的で、改善を強く希望している方について)、それの説明として、他の医療スタッフとは全く異なる話が呈示され、それの真偽や妥当性を確かめるつもりはないが説明が客観的っぽそうな「新しい言葉」で語られることで満足できるという心性があると思う。
このことは、今の世の中でマスメディアに登場する様々な「脳科学者」は神経科学を正しく紹介しているというよりは、文化事象、つまり娯楽や芸術や評論・文芸などについて「神経科学の専門用語を交えた言葉」で説明はしているが内容的に全く独創的でないというものに対して、しかし一般市民にとって新鮮に感じられてもっと聞きたい、というのと同じ心性である。

もう1つは、これは僕にとっては重要だと思うが、「異物」である精神症状を多くの患者さんは、自分の性格や生き方、他者との人間関係、不適切な物理的環境との関わりで生じたというように、物語的に自分の人生と結びつけて解釈する。そこで上記の情報処理論的な心理学、神経科学的な説明をされると、原因帰属が自分の人生の「物語」から自分の「脳」に変わることで、一気に客観的にとらえられるようになる(すいません、脳は自分そのものだろうという「正しい」突っ込みは容赦ください,,,)。こうした説明で、多くの患者さんで新たな視点が獲得できて満足されている方が多いと感じている。残念ながら検査しかお会いしないのでその後の、たとえば治療に対するアドヒアランスが高まったとかそういうことはわからないが、いずれにしろ条件付きではあるけれど患者さんに精神症状のメカニズムをかみ砕いて、ストレートに伝えることは非常に大きな効果があると思った次第だ。

2009年12月12日 (土)

生物学的精神医学のあり方

12月12日土曜日になりました。

今週の木曜日は久しぶりに患者さんの脳波検査(事象関連電位計測)のオーダーがあり、助手役の後輩が体調不良で欠席したもんで一人で計測、分析、報告書を作成した。
いわゆるARMSの患者さんであった。

ARMSとは最近の精神科領域で非常に注目されている概念で、簡単にいうと統合失調症の発症が強く予測される状態、前駆期状態のことを言う。
統合失調症は発症して薬物治療を開始する期間(未治療期間ということでDuration of Untreated Psychosis;DUP)が長くなると、それだけ脳の機能的、器質的異常が進行してしまい、治療した後の認知機能障害や機能的予後が悪いと考えられている。統合失調症に限らず、どんな精神疾患、いやどんな身体疾患も早期に発見し治療することは強く望まれる。統合失調症の場合はもし発症しなければ普通に社会生活を営めるが、発症した場合はDUPが長くなると社会適応が著しく困難になり、本来得られるであろう生産性が下がり、社会的コストの損失はとても大きいので他の疾患以上に早期発見、早期介入の試みが先進国を中心に進められている。
統合失調症の場合は前駆期症状を指す表現はいろいろあり、日本で有名なのは中安先生の「初期精神分裂病」、安部川先生の「警告期状態」などがあるが、国際的によく知られている精神病罹病危険状態(At Risk Mental State;ARMS)が日本でも普及していて、論文や学会発表ではARMSを定義する構造化面接であるSIPS (Structured Interview for Prodromal Syndromes)と前駆症状評価スケール(The Scale of Prodromal Symptoms:SOPS)がよく用いられている(それぞれシップス、ソップスと読む)。
SIPS/SOPSに従った構造化面接という「作業」をすることで、ARMSがどうかを評価できるので、初期分裂病の四主徴を1つ1つ高い洞察力を発揮して努力して「検出」していく必要はない。先日の北九州市小倉で開かれた日本臨床神経生理学会で最終日の精神疾患と事象関連電位のシンポジウムで東大の若い先生の発表で「SIPS/SOPSを用いることで中安先生のような名人技を身につけなくても済むわけでして・・・」と言っていて思わず笑ってしまった。


ARMSやSIPS/SOPSについて東邦大の水野先生が分かりやすく紹介しています

それで統合失調症の主たる精神症状が顕在化していない初期分裂病や前駆期状態を考える上で、上記の操作的な方法で診断できるわけだが、他方でプレコックス感というものがあるかどうかが重要だ、という考えがある。
四主徴(気付き亢進、自生体験、漠とした被注察感、緊迫困惑気分)と深く関連するが患者さんが示す対人場面での「特有な感覚」、「一種言いようのない特有な感情」といった印象のことである。まあ簡単に言うと、患者さんの中で情動や気分(妄想気分)がネガティブな状態にあり、それで特に自動的処理である非言語的コミュケーションの現れ方が普通ではない様子を意味しているだろう。もっと具体的にいうと将来ネガティブな事象が起こりそうだ、具体的にこんなことが起きるに違いないから恐怖だ・不安だ、不穏な状態だ、覚醒もあがっていることもあってあれこれ環境刺激に注意が向いてその意味を考えたくなってしょうがない、といった生理状態の偏奇によって認知的評価がゆがんだ状態であるといえる。
尊敬する大精神科医である故・諏訪望先生の最新精神医学の214ページにプレコックス感の記述があり以下に抜粋する。
「Rumke,H.C.(1941)は、分裂病患者と相対するときに面接者のうちに引き起こされる特有な感触、ないし体験をプレコックス感Praecox-Gefuhlと称して、”真性分裂病”の診断に際して確定的な意義を持つと考えた。この見解は一時学界の反響をよんだが、いうまでもなく、このような主観的な感触だけに基づいて精神分裂病の診断を決定することは不可能であり、つねに総合的に判断することが必要である」

統合失調症の確定診断は当然のことであるがプレコックス感ではなく、ICDやDSMに従って精神症状の存在をきちんと見るべきで、諏訪先生のこの記述は当然である。
しかし、諏訪先生の時代には、疾患を問わずよっぽど重篤な鬱やよっぽど派手な精神症状を呈して初めて精神科に患者さんが来られる時代だったと思うので、不眠や不安などを不定愁訴的なもので来院してよく見ると統合失調症の発症が予測されるARMSだった、という患者さんは皆無だったと思われる。今現役でおられたら、この厳しい書き方からするとARMSの診断にはプレコックス感は役に立たない、と考えられるのではないか。

それで本題に戻って、先日来られた患者さんはARMSではあるものの、全くもってプレコックス感は感じられなかった。
まったく普通に言語的コミュニケーションは疎通性が高く、流暢で、常識的な生き方をされてきたと思われる。非言語的にも偏奇を感じる部分は無かった。
それで、詳しいことはまだ論文になっていない(in preparation...涙、涙、涙)ので書けないが、P50、P3a、P3bという事象関連電位(誘発電位)の成分があって、これらの異常のパターンによって、統合失調症の素因があるかどうか、そして今現在脳機能の病態がどれだけ進行しているか、ということを結構予測できることが自分の博士論文研究で分かった。
それによるとプレコックス感があるなと感じるARMSや初発の患者さんの多くは、P50成分が不良で、P3bも不良で、P3aは良好である。慢性の患者さんはこれら全部が不良であるパターンが多い。で、ごく少数だけれど、P3bだけが不良であとは良い、という方がいて振り返ると普通の人のような感じで、プレコックス感が無いなあと思われた。
つまりP3aは病態進行に関連があって、P3bは統合失調症の病態や診断問わずに素因的に下がり、P50も同じように振る舞うものの、ある種の臨床像に関わるのではと思われるわけだ。

P50成分に反映されるSensory gating機能は詳しい話は今度にしますが、いわゆる感覚過敏、神経過敏、聴覚過敏といった表現の背景にある神経生理機能のことである。この障害があると、臨床的には普段は気にならない、意識下に抑制されている感覚刺激に注意が向いてしまって、しかも連続して提示される刺激には普通は慣れるが慣れないために新奇性をいつも感じしてしまう状態になってしまう。専門用語で簡単に言ってしまうと、感覚刺激に対する顕著性と新奇性が異常に高まるというものである。
P50成分の異常は統合失調症ではかつては素因性、脆弱性指標と考えられ、現在では中間表現型指標と見なされている。
100人の患者さんがいれば100人全員が異常だというわけではないが、しかし100人の普通の人を連れてきた場合の異常を持つ頻度よりは有意に大きい、というもので、発症の複数の要因の1つであるが、絶対的な要因ではない(そういういみで中間、という言い方になるわけである)というものである。
もしかするとプレコックス感も極めて高次な精神病理学的表現型であるけれど、ある意味中間表現型的なものである神経生理指標(P50成分)で対応が見いだされるのかなあと、木曜日に思った次第だ。

中間表現型のことはまた詳しく書きたいが、明らかに今後の発達障害、精神医学を考えるうえで必須の概念であるが、これはARMS以上に日本の精神医学、小児精神医学・特殊教育学では広まっていない。数ヶ月前の研究室の発表でも皆さんによく伝わらなかったもんなな。。。
この考え方を取り入れれば、全てのARMS、顕在発症した統合失調症患者さんでプレコックス感を伴うわけではない、という理屈は「当然である」と見なせる。それに寄与する中間表現型の発現確率と同じ頻度で見られると言うことになる。
そうなるとこうした生物学的な観点からもプレコックス感の臨床的有用性は低くなるが、そもそもプレコックス感に限らず、異常心理、精神病理の多様性・複雑性に対して同じ精神病理学レベルで対処する、つまり洞察力を高めて、検出・分類・記述していく、というのは巨大なヒマラヤ連邦に一人で挑むようなものであると考えるべきだ。複数の学問的水準の視点で考えるdimentinalなアプローチが必須だ。もし高度な精神病理の洞察力が診断や治療の決め手になるのでは、心理的不調があったときに高い洞察力を持つあの先生の所にとっても遠いけれど頑張って行きましょう、なんてことになる。
非臨床家である僕の研究目標は1つは、臨床家は高い洞察力が無くても明確な精神病理的な臨床像をきちんと見極め、精神症状から分からない個々の患者の生物学的特性、すなわち薬物反応性や機能的レベル(例えば知覚、認知機能障害)を専用の検査(補助的診断ツール、ここで事象関連電位とか神経心理検査が生かされる)を用いて、治療標的をより細分化し明確化し、薬物療法・非薬物療法の治療戦略を決定するという時代になるよう基礎研究の臨床応用を積み重ねることだ。

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